“あなたにOriginal Songを”が生まれたストーリー

OZAWA CHIHIRO 「なまらFANクラブ」

2022/11/08 11:59

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あなたにOriginal song


【結果を出せないと価値がない】と思っていた。


14歳で、札幌の家族の元を離れ上京、 200515歳で念願の歌手メジャーデビューを果たしたものの 2年後、その夢はあっけなく大人の事情で突然ナシになってしまった時から。


あんなに熱い握手を交わしてくれた大人たちに 「私の音楽が結果が出なくビジネスとして回らなくなってきた瞬間、見放された」 と想い込んでいた。


 「大人なんて誰も信じられない」「良い結果を出し続けてないと歌えないんだ」

「使える奴だなって大人に思われなきゃ」

そんな気持ちが、いつもどこかで働くようになってしまっていた。


17歳。 歌う場所も、提供いただいていた曲も全部なくなった私。 

こんな状況をどうにかしなきゃと「それなら自分で曲作って、自分で演奏して、自分で場所探して、路上ライヴすればいいじゃん!」とまずは当時住んでいた所属事務所の女子寮を退去。 意を決して、1人暮らしをしながら路上ライヴデビューすることにした。


東京三茶の1R6畳の部屋から週末は路上ライヴへ出てチャンスを探す日々。 自分の身体より大きなケースに入ったギターを背負い、重たいアンプやマイクを括りつけたカートを引きづり、駅まで20分以上の移動。ぎゅーぎゅーに混み合った地下鉄に乗り込んだ。 


路上ライブは、メジャー活動期間に立ったどんな大きなステージよりも、 勇気も度胸もいるステージだった。 帰り道、蒸しっと冷たい雨がひとつふたつと降り出して、 私を独りぼっちに包み込んだ感覚を、今でも忘れられない。 

あれから、16年が経とうとしています。


そうした行動が運良く実を結んでくれ、音楽プロデューサーやマネジメント事務所の方と繋がり、2012年にいろんな巡り合わせの中で拠点を地元北海道へ戻すことに。 2016年には完全フリーランスでの活動も始めることができました。 でも、あの時の想い込みはしぶとく、私の中に息づいていました。


   「良い結果を出して大人に認められて沢山の人を巻き込めないと、歌い続けられない。見捨てられる。」と


楽曲を作っては、自分でプロモーションの資料を作り、 媒体に売り込みに行くルーティーン。 売れているメジャーアーティストを真似て、1人でいろんなことを試した。 


ライヴを1から企画して、会場とアポを取ったり 楽曲だけでなく、MVGOODS作りを考えたり。

1人でやるからこそ、出会えた人や生まれた絆は宝物で 自分の音楽に責任を持ってできる、そのやりがいや充実感・達成感は半端なかった。 道新ホールに立たせて頂いたり、レギュラーラジオ番組を持たせて頂いたり 本当に周りに恵まれていて、夢のような経験を沢山させてもらいました。


  でもその一方で

 「大人たちに認められてないと続けられない音楽」という

  変な思い込みに縛られて抜け出せない自分がいる事実。


コロナ禍で、イベントが減り、ラジオのレギュラーもなくなり、 自発的なライヴも開催しずらくなり自分の歌を聴いてくれる皆さんの声に触れる機会が圧倒的に減ってしまっていよいよ、現実に追い詰められた私。


 “こんな状態じゃ本当に歌い続けられなくなっちゃうかもしれない。

 

そんな危機感を感じて、

恥ずかしながら、初めて運営についての本を読んだり、人の話を聞いたり、セミナーを受けたり、ネットで調べたり、模索しまくっていた。。。


そんな時だった。 

10年前、あるラジオ番組で出会った コンサルの宍戸慈さんに話を聞いてもらった。


音楽で自分にできることはないかなぁ“ “楽曲提供とか〜"


“1フレーズだけ作ってみたら?“


作りたいと思って30分。すぐに慈さんの曲ができたので、聴いてもらった。



それがこの曲




 めっちゃ喜んでもらえた!!!!!




なんならそれを聴いてくれた周りのみんなも めっちゃ感動してくれた!!!!!!!!



何より、私自身の心が震えるほど喜んでいた。


え。私にはこれがあったじゃん。




音楽活動中止という人生初の挫折からあやかった曲を作るということ。 

親からもらったこの声で歌うということ。

それで、目の前の人に喜んでもらえるって、一番やりたいことじゃん!!!!!!!!!!



いつしか勝手に自分の中に根付いた呪いが なんだか嘘みたいに、

するする溶けていったのです。。。(ナガかった・・・号泣)


思えば、大人たちに見放されたと思ったあの日以来、 友達が失恋したとき、担任の先生が亡くなってしまった時、 友達に子供が生まれたとき、妹が結婚した時、 何かある度にそれを曲にして聴いてもらったり、 心の中を整理したりしてきました。 


事務所に活動中止を受けて悔しかった気持ちも、北海道に戻って頑張ろうって決意も、

曲にすることで、それを証にしながら今日まで前に進んできました。


日常の中で私が自然としてきたことを、これからはもっと身近に沢山の人に、

できる限り届けていきたいなと思いました。


実は、2022年11月に山と海に囲まれた町 銭函に引っ越し、新生活がスタートしました。 

今はまだ、絶賛お片付け中なのですが、 来年には音楽部屋を完成させて 暮らしの中で音楽を生み出せる環境を整えたいなと考えています。


誰かの暮らしや人生に寄り添う音楽を作る

"音楽で人生を深く豊かにしてゆく"
ということを

さらにここで叶えていきたいです。


来年1月には、デビューから丸18年が経ち19年目がスタートします。

 本当にいろんなことがあったけれど、ここまで音楽を続けられているのは紛れもなく、日々さまざまな場面で支えてくれている関係者の皆さん お友達や家族、そして、ファンの皆さんのお陰です。


この場を借りて、本当にありがとうございます。 

感謝の気持ちでいっぱいです。

新しいスタートへの挑戦を、是非応援していただけたら嬉しいです


もちろん、ライヴもリリースも変わらずしていきます... 

改めて、これからより音楽家としてパワーアップしていく小澤ちひろをどうぞ宜しくお願いします!


そんな想いでスタートするのが”あなたにOriginal Songを“です。


一緒に曲ができる喜びや、

今日ができることで自分の人生が深く豊かになってく感覚を感じられるのを

楽しみにしています!どうぞよろしくお願いします!

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11/10()〜順次受付スタート!


あなたの想いや人生を曲に記録していく

おざちのあなたにOriginal Song


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