私の宝物。

OZAWA CHIHIRO 「なまらFANクラブ」

2023/08/27 08:03

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2003年の夏。
「歌手になってくるね!」と
北海道の親元を離れ上京した。

当時中学2年生、14歳。

忘れないなぁ。
ダンス&ボーカルスクールの仲間たちや
仲間の家族や
スクールのファンの方まで
新千歳空港に見送りにきてくれた。
私の両親、姉も、妹も。

丁度家族に対しては、反抗期だったっけ。

涙なんか見せたくないのに
溢れて止まらなくて、
搭乗口でお別れの時、初めて、
目に涙を浮かべた父の姿を見た。

東京の高級住宅街にある
事務所の女子寮に着いて
1.8畳の狭い部屋のベッドで一人ぽつりと座り
母に渡された袋をあけたら
プレゼントと一緒に、
ノートが挟まっていた。

母からの手紙だった。

「 誰からのプレゼントだろうって
思ったと思うけど、ママからでごめんね。」

それくらい、反抗期だった。笑

ピンと張ってた糸が切れたかのように
頭が痛くなるほど
泣き腫らしたのを覚えてる。
そっけなくしちゃって私がごめんねと。
ノートもプレゼントも
あったかくて。。

挫けそうになった時、
寂しくなった時には
時折、開いて読んでは
また寂しくなってた。笑

8ページにもおよぶ、
母からのノートに書かれた手紙。

印象的だったのは
「家族の一番の願いは、
大きなスターになることより
ちひろが頑張り、疲れたときに
素直になって、帰って来てくれることだよ」

という言葉。
当時の私に、物凄く刺さった言葉だった。

先日ふと、
8月24日って上京した日だったなーと
帰り道に気づいた。
あれから、ちょうど20年だ。

悔しいことも、悲しいことも
嬉しいことも、
色濃くあったけれど
音楽を続けられてよかったと、心から思う。
一番は、出逢い。
今周りにいてくれる
大好きな人たちの顔や
これまでの出逢いを思い浮かべて。

音楽が
最高の人生にしてくれたなーって。

素晴らしい人生を歩ませてくれて、
ありがとう。

 

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